八百万(やおよろず)の神に守られて   元サッポロビール博物館長 今堀 忠国
第2回 結ぶ縁の神

 深夜帰宅し、足音をしのばせて二階に上がると、寝室で「山の神」が熟睡している。わが家のすべてをつかさどる神様だ。睡眠中なのに、ずっしりと迫力が伝わってくる。一緒に暮らして三十年余り、新婚時代の初々しい面影は、どこに消えたのだろう。
 林芙美子は「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」と詠った。大津美子は「嵐も吹けば雨も降る。女の道よ、なぜ険し」と歌った。きっと妻も苦難の人生を歩んできたのだろう。お茶で有名な静岡県で生まれ、「娘十八、番茶も出花」と呼ばれたこともあるだろうに、歳月流るる如し、花の色は移ろいやすい。
 妻は浜松市の出身だ。浜松は近隣十二市町村と合併し、約八十万人、静岡県一の都市になり、2007年4月、政令指定都市に昇格した。
 生家は、うなぎの養殖で有名な浜松湖の近くにある。にょろにょろ尻尾をつかませないのは、そのせいだ。浜松湖の古称は「遠つ淡海」(とおつおうみ)だが、転じて「遠江」(とおとうみ)になった。
 一方、私のルーツは滋賀県彦根市だ。曽祖父の代に北海道に移住した。滋賀県は神社仏寺の数が人口比で日本一。古事記・日本書紀に記録された史跡が、今も随所に残る。「淡海(おうみ)の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 情(こころ)もしのに 古(いにしえ)思ほゆ」(柿本人麻呂=大岡信訳)。万葉集では、この歌が好きだ。琵琶湖は古称の「近つ淡海」(ちかつおうみ)が転じて、「近江」(おうみ)になった。
 私が近江で、妻は遠江、縁があって結ばれたが、これでは、うまく行くはずがない。夫の性格は、淡水系で甘いのに、妻の性格は、塩水が混じって塩辛い。三十年余りやってこられたのは、偏に私のおかげである。一に辛抱、二に忍耐、三に我慢で、四、五はなく、六に諦め。もっとも妻に質問すれば、まったく逆の答えが返ってくるはずだ。
 近江と遠江には、どちらにも、一千数百年の由緒を誇る格式ゆかしい神社がある。
 近江で一番の神社は、多賀町の多賀大社だ。広大な境内に鬱蒼と大樹が茂り、末社が点在する。「お伊勢参らば お多賀へ参れ お伊勢 お多賀の子でござる」という俚謡がある。多賀大社の祭神のイザナギとイザナミは、伊勢神社の天照大御神の両親だ。
 余談だが、イザナギとイザナミは、天の神からこう命令された。「この漂える国を造り固めよ」。天命により夫婦になって日本列島と自然界の万物を造った。今の日本は神話時代のように混沌の海を漂っている。イザナギとイザナミに、もう一度、「美しい国づくり」をしてもらいたい。
 多賀大社は、地元では親しみをこめて「お多賀さん」と呼ばれている。お多賀さんは、延命長寿と縁結びの神様だ。
 遠江で社格が一番の神社は、森の石松でお馴染みの森町にある。小國(おくに)神社という。広い境内には樹齢八百年の神代杉が聳え、四季折々の花々が咲く。祭神は出雲神話の「困幡の素(しろ)兎」に出てくる大国主命。赤裸のウサギを助けた心やさしい大国様は、国造りと開運福徳、そして縁結びの神様だ。
 近江一の多賀大社、遠江一の小國神社は、どちらも「縁結び」のご利益がある。縁結び(良縁成就)をご利益にしている神社は全国に数多い。
 縁結びといえば、昔は適齢期になると、理想と多少違う相手でも目をつむって「えいっ」と結婚を決めたものだ。妻も二十五の春に「えいっ」と理想を断ち切った。
 今は、理想の相手が現れるのを、いくつになっても待ち続ける人が多いようだ。理想の夫の条件は、昔は「三高」といって、高学歴・高収入・高身長だった。今は、低姿勢・低リスク・低依存の「三低」に変わった。ややこしい注文を付けずに、「えいっ」と決断すれば、なんとかなるように思うが、そうも行かない事情があるのだろう。
 私は悲観論者だが、妻はプラス思考の楽天家だ。私はすべて妻にすがって生きているので、独り暮らしをすると、あっさり早死にすると思う。
 私が三十年間離婚しなかったのは、私が我慢強かったせいではない。どうやら「結ぶ縁の神」のご加護と、拙宅の「山の神」のおかげのようだ。