天皇弥栄(すめらぎ いやさか)  慶應義塾大学講師 竹田 恒泰
第13回 聖上の大葬と山陵に関する一考察

■羽毛田長官の発表で明らかになった聖旨
 羽毛田信吾宮内庁長官は定例会見で、天皇と皇后の埋葬方法について「天皇、皇后両陛下のご意向を踏まえ、火葬に変更する方向で検討する」と発表した。長官の説明によると、両陛下はかねて、武蔵野御墓地が「用地に余裕がなくなっているのではないか」と仰せで、民間と同じように火葬にすべきこと、そして、陵は皇后との合葬にして規模を縮小して簡素なものとし、さらには、大喪も「極力、国民生活への影響の少ないものとするように」との御意向という。
 大喪と御陵について叡慮が明らかになるのは異例であり、しかも、もし火葬が実現すると、約三五〇年ぶりに、埋葬方法が変更されることになる。長官は、陛下の御意向を受けて、火葬、薄葬、合葬の方向で、今後一年程かけて宮内庁で検討を進めるとした。
 埋葬方法変更の思召は、民の生活を慮る天皇陛下のお気持ちから発せられたものであることを思うと、真に恐懼に堪えない。陛下は、大震災の復興に暫らく時間を要することに気を掛けておいでと拝察致す。

■皇后陛下の御遠慮と羽毛田長官の嘘
 ところが、羽毛田長官が埋葬方法の思召を公表したその翌週、今度は風岡典之宮内庁次長が定例会見で、宮内庁が合葬を検討するとしたことについて、皇后陛下が「陛下とご一緒の方式は遠慮すべき」とお考えになっていらっしゃることを明らかにした。
 合葬の聖旨について、「御遠慮」なさる皇后陛下の思召もまた、陛下の尊厳を最大限に尊重なさる皇后陛下の真摯なお気持ちの表れと思うと、余りに畏れ多い次第であり、両陛下の私心の無い清らかな御心に只々敬服するばかりである。
 しかし、両陛下の崇高なお気持ちとは裏腹に、宮内庁の対応に違和感を抱いた人は多い。皇后陛下が「御遠慮」を表明なさったことから、長官は皇后陛下の御意見を伺ったと言っておきながら、実際は伺っていなかったことが明らかになった。長官の嘘が露呈したのである。テレビなどをご覧になった皇后陛下が、次長を通じて長官の示したことを否定する必要が生じたのは、長官の不手際以外の何物でもない。
 違和感はそれだけではない。そもそも埋葬に関して陛下のお考えを公表すること自体、果たして適切であるか、大きな疑問がある。先帝や明治天皇にも必ず御陵造営について思召があったはずだが、それが公表されることはなかった。
 あまつさえ、なぜこの時期に埋葬の話題を持ち出すのか、不敬の極みというべきだろう。天皇陛下は昨年と今年と続けて御入院あそばし、最近ようやく御健康を取り戻しつつあって、国民が玉体の安寧を祈っている最中に埋葬の話をするなど、配慮に欠ける。

■真の忠臣の行動とは何か
 しかし、埋葬方法変更の御意思が分かったとはいえ、どこまで従うべきかは難しい問題だ。持統天皇以降千年もの間、歴代天皇は原則として薄葬の詔を発し続けてきた。にもかかわらず現在でも御陵が一定の規模を保っているのは、必ずしも天皇の御意思に従ってこなかった結果である。毎度縮小を続けたなら、今頃はペットの墓のようになっていただろう。
 幕末の大火で、孝明天皇が御所に留まると仰せになったところ、公家たちが嫌がる天皇の着物の裾を引いて無理やり避難させたことがあった。この時、御意思に従っていたら、孝明天皇の御命は無かった。陛下の御意思に忠実に従うことが必ずしも忠臣の姿ではない。
 御意思ありきではなく、これを参考にしつつも、伝統と将来の皇室に思いを致し、相応しい形式を慎重に検討すべきである。新憲法が公布されても、昭和天皇の御陵は大正天皇の形式が踏襲されていることを重く受け止めなくてはならぬ。私は畏れながら、今後も昭和天皇の例を踏襲すべきと思う。