天皇弥栄(すめらぎ いやさか) 慶應義塾大学講師 竹田 恒泰
第7回 なぜ京都御所にはお堀がないか?
■皇室はなぜ二千年以上続いてきたか
日本の皇室はなぜ二千年以上も続いてきたのだろう。皇室が強い軍事力を持ち、反乱分子を悉く打ちのめした結果二千年続いたのではない。むしろ歴史的に天皇は軍を持たない存在だった。
高松宮宣仁親王殿下が生前に同妃喜久子殿下に次のようにお話になったという。
「皇族というのは国民に護ってもらっているんだから、過剰な警備なんかいらない。堀をめぐらして城壁を構えて、大々的に警護しなければならないような皇室なら、何百年も前に滅んでいるよ」(『文藝春秋』平成十年八月号)
殿下は皇族であられるので、謙虚なお考えをお示しになったように思う。皇室は国民によって守られてきたのであれば、国民もまた皇室によって守られてきたのではあるまいか。天皇と国民は、支えあいながら長い歴史を共に歩んできたのである。
■丸腰の京都御所が語るもの
そのことが視覚的によく分かるのは、京都御所の佇まいである。現在の皇居は元来徳川将軍の城だが、平安時代から明治初期までの千年以上の間、機能してきた京都御所こそが本来の皇居の姿である。その京都御所にはお堀が無い。それどころか、敵の侵入を防ぐための石垣や、敵を迎え撃つための櫓、そして見張りのための天守閣など、防衛の為の施設は何も無い。しかも、御所内に兵を駐屯させる施設ですら存在しないのだ。京都御所は全くの丸腰なのである。
京都御所は設計の段階から、敵が攻めてくることなど一切考慮されていない。全く無防備な御所に住み続けた天皇も、まさか誰かが攻め込んでくるなど想像もされなかったことだろう。民衆の蜂起に怯えるような事態も起きたことが無い。そして、京都御所の前身である平城京や藤原京、そしてそれ以前の都におかれた天皇の御所も全て同じであった。
■天皇を殺めようとした者はいない
もし本当に天皇を暗殺しようと思ったら、薄くて高くもない塀一枚を越えたなら、御殿は障子で区切られているだけなので、あとは紙二枚程度で玉体まで辿りつけてしまう。それにもかかわらず誰も御所を攻めなかったのは、天皇を殺そうとする者がいなかったからである。
国内で戦争が起きることはあっても、それは武家の権力闘争のための戦争であり、王朝を倒すための戦争はこれまで一度も起きたことが無い。中国や西洋の歴史が王朝交代の歴史だったことを考えると、日本は奇蹟の歴史を歩んできたのではないか。
もっとも、天皇や皇族が攻撃の対象となり、また皇居の周辺で戦闘が行われた例はある。だが、それらは壬申の乱や保元の乱など皇位をめぐる皇室内の抗争や、承久の変など、天皇が倒幕のために挙兵をした例、または蛤御門の変など、君側の奸を打ち払うとの大義に基づいたものに限られ、天皇を殺害し、または王朝を倒すためのものではない。
■天皇と国民は対立関係にない
しかし、世界史の常識では、王は軍事要塞である城に住むものである。聖書はイエス・キリストの言葉として「剣を持つ者は剣によって滅びる」(マタイの福音書、二十六章五十二節)と伝えるとおり、軍事力によって支えられる王権は、常に別の軍事力に怯えなくてはいけない構造にあるのだろう。
また、世界の王は軍事力だけでなく、民衆の蜂起を常に警戒しなくてはいけない運命にある。現に欧州ではしばしば民衆が王朝を打倒することがあった。一歩間違えば民衆は敵になるのだ。
日本の天皇を世界の王と同じようなものと考えたら大きな間違いを犯すことになる。日本の天皇と世界の王は成立の背景、存在意義、権力構造、民との関係など、どれを取っても根本的に異なるからだ。