天皇弥栄(すめらぎ いやさか) 慶應義塾大学講師 竹田 恒泰
第1回 皇統保守のために
■親王殿下御誕生万歳!
平成18年9月6日、秋篠宮妃殿下が国民待望の若宮を御出産遊ばしてから2年が経った。今思い出してもあの日の興奮はつい昨日のことのように蘇る。「日本国民としてこれほど嬉しいことはない」と思ったのは私だけではないだろう。
日本は現存する国家の中で世界最古の歴史を持つ。その長い歴史の中で、皇統を守るために幾多の困難があったが、その度に偶然とも思える不思議な作用が働き、ことごとく乗り越えてきた。その作用を先人たちは「神風」と呼んだ。
皇統断絶の危機が叫ばれ、男系伝承の大原則を変更する法案が上程されんとする将にその時、御懐妊の発表があり、しかも親王殿下が後誕生遊ばしたのは「神風が吹いた」としか私には思えない。皇統は守られた。
これを機に、平成16年から本格化した皇室典範改定への動きは完全に止まった。それまで女性・女系天皇の成立を意図していた論客たちは、なりを潜めたように沈黙し、いまだに発言する者はいない。
■平成の山口乙矢
思い起こせば、男系維持派は命を賭けて発言していたと思う。当時「平成の山口乙矢」の出現を求める声は至る所にあり、現に火薬を満載した十トントラックで総理官邸に突入する準備を進めていた活動家もいたという。近年「暗殺すべき政治家もいなくなった」という声が聞かれるなか、そのような覚悟を決めた活動家にとって、万世一系の皇統を断絶させる小泉総理は、将に「暗殺に足る政治家」だったことになろう。
しかし、一方の女系天皇容認派の中に、命を賭けて発言している者はいなかった。「どうせいつか男系は途絶えるから、いま途絶えさせてもよい」という彼らの主張は「この患者はもう長くはないのだから、いま殺せ」と言っているのに等しい。このような発想には情熱もなければ、日本人としての誇りもなく、極めて投げやりで無責任である。だから、女系容認派たちの主張は、命を賭けて発言していた男系維持派の言葉とは、かなりの温度差があった。
なぜ、男系維持派は覚悟を決めた発言をしていたのか。それは、皇室典範論争は皇統保守をめぐる論争であったからである。そして、これは単なる政策論争などではなく、国体の根幹に関わる問題であり、男系維持派は日本そのものの攻防戦をしていたことになろう。
■皇統の危機はまだ解決していない
若宮殿下の御誕生で、若い世代におひと方、皇位継承者を得たことになる。これにより当面の皇統の危機は回避された。しかし、もし将来東宮家と秋篠宮家に次なる親王がお生まれにならない場合は、秋篠若宮殿下のその小さい肩に、皇統の運命が全て委ねられることになる。皇統の危機はまだ解決していないと見なくてはなるまい。このままでは若宮殿下が天皇に践祚あそばす時、皇族はひと方もいらっしゃらなくなることが確実と見られる。
かつて皇位継承の危機に当たり、宮家から天皇を立てたことが二回あった。そもそも宮家は、万世一系の血のリレーの伴走者であり、宮家が1つもなくなるということは、それだけで皇統の危機である。
若宮殿下御誕生までは「いかに皇位継承者を確保するか」が議論の主題だったが、以降は「いかに皇族を確保するか」を議論しなくてはいけなくなった。
「神風」で事なきを得たが、次なる段階は神頼みではなく、政権が迅速かつ慎重な議論を進め、懸命な結論を導き出すことを期待する。国民はこの危機を未だ理解していない。女系天皇の議論で神社界が大きな役割を果たしたが、今後神職と神社関係者が皇室の藩屏として果たすべき役割は余りに大きい。神風は「吹く」ものではなく、「吹かせる」ものなのである。